@西方御仮屋跡(上町)
 「御仮屋跡」とは,旧薩摩藩主が江戸などへ行く途中に泊まった宿のあった場所のことです。薩摩川内市内には,西方町と向田町の2カ所にあったそうです。もしかしたら,篤姫も泊まったかも知れませんね。
A潮見寺(上町)
 今から120年ほど前に建てられました。浄土真宗のお寺で「南無阿弥陀仏」を唱えると,仏様の力で極楽に行くことができるとされています。海に近いお寺ならではの名前が付けられていますね。
B西方寺(松薗)
 今から350年ほど前に建てられた古いお寺でしたが,140年ほど前に一度なくなってしまったそうです。しかし,西方小学校の初代校長の武田敬助先生たちが「もう一度西方寺を復活させてほしい。」とお願いした結果,当時の鹿児島県知事から寺院開設の許可が出され,再び西方寺として復活したのです。
Cたっどん(松薗)
 「たっどん」は,高城神社にまつられている高城重誠のことを指します。重誠の子どもがかっぱに引きずり込まれておぼれ死んでしまったので,重誠が怒り,水神様にお祈りをしました。そうするとそのかっぱが「許してください。」とあやまり,その後は悪さをしなくなったという伝説が残っています。
D招魂碑(松薗)
 今から120年ほど前に建てられました。西郷隆盛が政府軍と戦った西南戦争で,西方出身の亡くなった人たちがまつられています。碑には,戦死者6名,病死者2名,負傷者が7名,無事だった人が48名という記録が残されています。
E早馬神社(浦小路)
 早馬神社については,あまりくわしいことは分かっていません。現在は西方町の氏神様の神社となっています。平成4年に西方小学校の児童が,この神社で「ばら踊り」と呼ばれる踊りを奉納したそうです。
F川原田神社(松薗)
 松薗地区の川原田という場所に建てられたことから,この名前が付けられました。今から80年ほど前に建てられました。建物には獅子や象の頭部の彫刻が彫られているほか,こま犬の像が置いてあります。
G高城護国神社(松薗)
 学校裏の小高い山にある高城護国神社は,今から150年ほど前に建てられました。70年ほど前に今の「高城護国神社」という名前になりました。日清戦争,日露戦争,太平洋戦争で亡くなった人たちがまつられています。